Fly me to the Metal

自分で言うのもなんだが、私はあまり節操なく物事に手を出すほうだ。それでいて、ひどく凝り性かつ好き嫌いが激しい。そして熱しやすく冷めやすい。……と書くと、なんだか矛盾しているようだが、これが成り立っているのが私という存在である。

だが、そんな私にとっても、今に至るまで(箸休めはしつつも)ずっと愛好しているものがある。メタルだ。金属ではない。音楽のほうである。一番最初の出会いは中学時代だったかと思うが、かれこれ10年は軽く聴き続けている。いつ出会ったのか、なぜ出会ったのかなんてことはそれほどはっきりとは覚えていない。きっかけこそ覚えているものの、どうしてそこからハマったのかもはやあいまいだ。解き明かせそうもないが、振り返ることで何か見えてくるものがある気もする、という建前で、自分のリスナーとしての音楽遍歴を思い出せる限り書き殴っていく。

まず、幼少期だ。特撮、特にウルトラマン戦隊ものが大好きだったので、その周辺の歌をいつも歌っていた記憶がある。ウルトラマンだと初代、ジャック、エースなどいろいろあるが、今でもはっきり覚えているのは初代とタロウ、レオくらいか。あとは童謡だ。そんなわけで、当時のカラオケでもそういうラインナップを入れていたわけだが、それで一度ひどく母に笑われてしまったことがある。これらに加えて、父が歌謡曲と演歌や日本のフォークなどをよく歌っていたので、耳で聴いて覚えたものもある。たとえば吉幾三の雪国とか、伊勢正三22才の別れとか、村下孝蔵とか、チューリップとか、チャゲアスのフォーク時代とか、そこらへんだ。今でも歌謡曲フォークソングは聴くが、その原体験がここにあったというわけだ。余談だが、父はセミプロレベルに歌がうまく、カラオケに行くたびにいつも劣等感を覚えたものだ。

そして小学生~中学生のころ合いになると、今度は当時見ていたテレビや流れていたラジオの影響で、流行りの歌を聴くようになった。……いや、先述の母親げらげら事件の影響でレパートリーを増やす必要があると子供心に思って、特に関心を払っていなかった音楽を音楽として受容し始めたのがこのころだった気がする。当時は初めて音楽CDを借りたり買ったり(もちろん中古だ)したものだ。親も聴いていたこともあって、このあたりはMr.Childrenをよく聴いていた。Atomic Heart、深海、そして飛んでIt's A Wonderful Worldだ。アトハなんて今聴くとストーンズやらなんやらの影響が如実にあふれ出ているし、深海だって当時のオルタナ×フロイドだし、オリジナリティがあるのはイツワンくらいかもしれない。猪木はいらないけれど……。

と、ここまで書いてきたとおり、10代初めあたりまで聴いていた音楽は、非常に家の影響を強く受けている。その一方で考えたのだ、「このまま親の影響でばかり聴いていていいのか?」と。一種の反抗期だったのかもしれない。そうは言っても、では何を聴けばいいのかなんて皆目見当もつかなかった。ロキノン系は性に合わなかった(今も聴かない)し……で、たまたまYouTubeで耳にしたのがLed Zeppelin(Zep)である。そう、YouTubeのおかげでハードロックに出会えたのだ。

そこからはもう一直線で、超メジャーどころのZep、Aerosmith、そしてブルースロックのClaptonあたりを聴きあさった。そしてこの時期、人生で最初に出会ったメタルバンドがある。Steelheartだ。ボーカルが独特な声質かつ幅広い音域の持ち主で、かつメロディーも抒情的でいてアメリカ的なカラッとした雰囲気があって、これにも相当ハマった記憶がある。このバンドは非常に様式美的なメタルバンドで、先述のZepの影響を強く受けていた。したがってハードロックからも入りやすかった。

続けて高校時代だ。ここで超メタル好きな同級生と出会ったのも大きな転機であった。彼は様式美的なメタルも聴くが、いわゆるエクストリーム・メタル――ブラックメタルデスメタルなど――も聴くタイプだ。一度彼から音源を借りたことがあったが、その時もまあAngraHelloweenSonata Arcticaといった様式美メタルは素直にありがたかった一方でエクストリーム・メタルは正直きつかった。そんなこんなでひたすら様式美メタル時々プログレメタル(当時は名前を知らなかった)だけ聴き続ける日々がしばらく続いた。

そこで問題が生じた。飽きたのだ。というのも、様式美メタルは言ってしまえば定番の展開があり、ある程度聴いてしまえばパターン化してとらえることができる。つまり、聴いたことがあろうとなかろうと、だいたいわかってしまうのだ。これではつまらない。そこで、大学時代の途中からだんだんメインストリームのロック(といっても90年代までの少し古いロックサウンドだ)に関心を傾けるようになった。とはいえまったくメタルを聴かなくなったわけではなく、定期的に情報を調べたり、少し聴いてみたりするくらいには関心を持ち続けていた。

一方で人間、一度だいぶ減退してしまった意欲を以前のように取り戻すのはなかなか難しく、ここから数年の間は箸休めの期間が続いたように思う。さらにそこから飽き性のさがが悪く出て、メインストリームのロックにも正直飽きてしまい、今度はまったく別のジャンルに傾倒し始めた。アンビエントやドローン、ミニマルミュージック、エクスペリメンタルといったちょっと外れた音楽や、ジャズ、フュージョンR&B、ソウル、ファンクといったブラックミュージック系などだ。これがだいたい27、8くらいの時で、つい最近のことである。クラシックはその時聴き始めた。といってもロマン派だけだが。

こうした音楽は実はメタルとも接近していて、アンビエント、ドローンなどの要素を取り入れたメタルがあったり、逆にジャズやフュージョンがメタルを取り入れていたりすることがある。自分がエクストリーム・メタルを聴けるようになったのもこれの影響だ。言い換えると、飽き性で凝り性であるおかげで様式美メタルを好きでいつつも飽きて寄り道をするようになった結果、逆にエクストリーム・メタルを知らず知らずのうちに楽しめるだけの蓄積ができたのである。その結果、ブラックメタルデスメタル、フォークメタル、ドローンメタル、ドゥームメタルなどを抵抗なく聴けるようになり、今に至る。めんどくさいのでだいぶショートカットしてしまったが、言ってしまえば「すべての道はメタルに通ず」「急がば回れ」みたいな歩みでメタルに触れてきたわけだ。ちなみにパンク(ハードコア含む)やメタルコアはあまり好きではない。あいつらは音楽も態度もスカスカだ。

というわけで、まとまりがなく偏見に満ちたリスナー史だが、振り返って一言でまとめると、逆張り自己実現しようとした結果だったと言えそうだ。「だったら自分で演奏しろよ」と言われそうだが、それはそれ、これはこれである。

スナップショットから著者の増分を楽しむ

最近は、続き物の本を買う時に最初の巻と一番新しい巻を買うことにしている。自分がせっかちなのもあるが、それ以上に間を埋めていきながら読み進める楽しみ方が好きだと気づいたのがきっかけだ。といっても間を(妄想という名の)考察をするわけではない。間は著者に埋めてもらう。

では何を楽しんでいるのか。

著者の初めと終わりの力量、書き方の違いを眺めつつ、それがどのように変化していくのか、変化量を見て、それを楽しんでいるのだ。増分バックアップを眺めている時と同じといえば通じるだろうか。われながら変な感じはするが、楽しいのだから仕方ない。

というわけで、なんともまとまっていない駄文だが、本にはこういう読み方もある、という話である。ちなみに、当然ながら実用書や教則本ではこうした読み方は事実上できないので、留意してもらいたい。

飲みすぎたのはあなたのせいよ

ダンジョン飯』ロスはアニメで埋められると思っていたがどうやらダメだったらしい。遅効性の攻撃がじわじわと効いてくる感じがしている。それでも『ラクガキ本』が出たから1月中は生き延びることができた。2月もワールドガイド完全版が出るからそれで多少生き長らえることができるかもしれない。

じゃあ、その先は? 短編集で多少死期を遅らせたとしても、さらにその先は?

というわけで、久井諒子先生には完全新作、もしくはスピンオフの1つや2つを描いてほしいと願ってしまう自分がいる。一方で長期連載が終わったのだからしばらく休んで充電してほしい気持ちもある。心がふたつある~。

ユニコーン

年が明けてから気づけば4週目に入っている。ついこの前年末を迎えたばかりだというのに、早いものだ。去年の暮れからこちら、思ったより寒くなることもなく、デスクワーカーとしては過ごしやすい日々を送っている。一方で2022年の暮れ~2023年の頭に比べると、平日に湯船に浸かる頻度を増やしている。物理的な理由はいろいろとあるが、一番は自宅の環境を整えたことかもしれない。さすがにそろそろ丁寧な暮らしが送りたくなったというか。そのおかげか体がぽかぽか温まるし、睡眠時間が短くても熟睡できるし、いいことずくめだ(硫酸マグネシウムの効果も大きいのだが)。さらに言うと、毎晩風呂で体を温めた後に、お風呂上がりに紅茶を飲んでいる。前はコーヒーを飲んでいたけれど、さすがに刺激物ばかりだし、胃に悪いしで変えたのだ。しかしこれがすこぶる良い。すばらしい。こういう生活は国民の義務にすべきだ。

ここ最近はこうしたとりとめのないことばかり考えている。人生は上々だ

ゆくとしくるとし@2023年

今回は月と年のまとめを両方書く。雑感だから短めにまとめるよ。

2023年の仕事

正直あまり変化はない。いつもどおり忙しい日常を送っていた記憶がある。

一応雑誌以外に単行本を編集した、という見た目上の変化はあるのだけど、これも仕事の内容としてはあまり変わっていない。ただ負担が増えただけだ。異動もしなかったから、扱う題材もとくに変化はない。業界の変化にキャッチアップするのが一層大変になったけど。

2023年のプライベート

こちらもとくに変化はなし。独り身なのは変わらないし。ライブに行く回数は増えたけど、新しく何かを始めるということはありませんでした。来年にご期待あれ、というところですね。毎月追われているのがなあ。

2022年までに比べてブログの更新はだいぶ頑張りました。しょうもないツイー……ポストレベルの文章だらけだったけど、そのぶん肩肘張らずに書き続けることができたのはよかったかもしれないな。

でも、変わったことがないわけでは……

今年で30歳になりました。

十二月のセントラルパークブルース by Mr.Children

ちょっと待て僕はもう30だぜ!?ということです。『痴人の愛』にはまだ6歳足りないな……。今のところとくに体調の変化はない。ただ、30を迎えた後から右半身の怪我が増えたので、なんだかんだ言ってすでに衰えつつあるのかもしれない。気をつけたい。

2024年は?

未定。何も決まっていないので、見渡す限りの大海原に乗り込む気持ちで頑張ります。

というわけで、2023年も終わりです。2024年ものんびり生きていきましょう。

『おねがい☆ティーチャー』『おねがい☆ツインズ』を見たよ

ふとdアニメストアのお知らせを見たら『おねがい☆ティーチャー』『おねがい☆ツインズ』(以下、順におねティーおねツイ)が大晦日に配信終了するとのことで、年末の繁忙期を抜けたこともあり、急いで通して見た。

おねティーおねツイともにKOTOKOが主題歌に加わっていたこともあって歌だけは知っていたのだけど、ちゃんと見たのは初めてだった。というわけで、簡単な感想を残しておく。

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こだわり

こだわりがある。文章を書くときのこだわりだ。

それは、日本語における、いわゆる主語を極力使わないというスタイルだ。このブログでもそれは同じで、「私」など執筆者を指す言葉は、基本的に使用を避けている。

どうしても使う場合は、だいたい次のどちらかだ。

  • なんらかの主体として執筆者(=私)を明記する必要があるとき
  • なんらかの状況において、執筆者とほかの人を区別するとき

そもそも、現代日本語における「私」は西欧語のそれと機能や役割が違う。詳細はほかの書籍に譲るとして、常に示す必要はまったくない。毎回記載していると、やや不格好で不自然な文章になるはずだ。さらに言うと、常に「私が」「私は」という言葉が登場すると、文章を読んでいるときの没入感も薄れる。

そういうわけで、できる限り「主語」を省略しているのだ。気づかなくても仕方ない点ではあるが、非常に強いこだわりである。