時間は有限である

気がつけば、再来月入稿の書籍を2冊抱えている。 どちらも初校が出ていない。 はっきり言うとかなり余裕がなく、たいへんまずい状況である。 雑誌を作っていたときはこんなことばかりだったが、さすがに1冊数百ページもある書籍となるとちょっときつい。

というわけで、今日はAIと格闘して編集用Skillを作っていた。 某編集者が公開したものと、私が今まで作ってきたものを組み合わせられないか検討してみた。 一応ものが仕上がったので、手元で動かしてみるとそこそこいい感じではある。 ただ、やはり人間の手を離れて完全にAIオンリーで編集ができるわけではない、ということもわかってしまう。 AI(より正確に言うとLLM)は、自然言語を読むことには長けていても、その仕組み上人間が読みやすい文章を生成することは総じて不得手なのだ。

そういうことをしていた結果、今日もろくに編集が進まないまま1日が終わってしまった。 こうした時間を編集に充てたら1冊でも多く本を制作できる、というのは確かに一つの理かもしれない。

組版は難しい

わけあって、今制作している書籍の1冊を手元で組版している。 今までも組版データを調整することはあったものの、一から手元でやってみると、これが想像以上に難しい。 ソフトウェアの都合上図版が400%で組まれていたり、目次がバグっていたり、そもそもOSにバグが混入していたりと、考えることが非常に多い。 側から見ると普通にやっているような行為であっても、いざ自分でやると労力がかかるものだ。 8年目にしてあらためてそれを実感している。

こういう風に組版周りに一度触れると、後工程になるべく負担をかけないように制作することがいかに重要か痛感する。 組版に詳しくなくてもいい。 相手の工程に一定の理解を持っておくということだ。 当たり前のことではあるのだが、だからこそ常に意識しておかねばならない。

と言いつつ、今は入稿に間に合うのか心配である。 果たして限られた時間で図版をきれいにレイアウトできるだろうか。

私にとっての音楽とは……

映画『マイケル』を見た後にworld's end girlfriendの『抵抗と祝福の夜 2026』というライブ公演を見に行った。 どちらもすばらしく楽しめたのだが(映画に関しては脚本は普通ではある)、それよりも、ふと頭をもたげた問いがある。

私にとっての音楽とは何だろう。

私は演奏はしない。 歌も好きではあるが決して上手いとは言えない。 作曲もしない。 もちろん編曲もしたことはない。 ひたすら聴く、あるいは見る側として、音楽に触れてきた。

もちろんこの問いは、今まで何度も自分に問いかけてきたので、答えが出ないことはわかっているし、出したい気持ちもない。 言うなれば、再確認したくなるのだ。 自分はあくまで心を動かされ続ける側である、ということを。

突き詰めていくと、私がなぜ編集を楽しめているのかに答えが得られそうな気もするが、ここではあえて問いを放棄しておく。

曇りの日はやる気が出ない

曇りの日はやる気が出ない。 頭は重いし体はだるいし、とにかくすべてのことが億劫になる。 気圧の問題なのか、外の天気に影響されているのかはわからないが、昔からこうだ。

なお、天気が良くなければいつもやる気が出ないのかというとそうでもない。 雨の日は別だ。 特に、大雨の日はかえってやる気が出てくる気がする。 晴れの日よりもずっと頭が働くように感じる時さえある。

もしかすると、はっきりしていない状況をもどかしく感じている、というのが一番大きいかもしれない。 ただ、それはそうとタスクは山積みなわけで、やる気が出ない中なんとかこなしていくしかないわけだが……AIがなんとか解決してくれないものか。

スーパーでつい甘いものを買ってしまう

今日は買わなければならないものが多く、薬局を4件くらい回る羽目になった。 また、台風でもしもの時のことを考えて、スーパーにも立ち寄った。

食糧をいくつか買い、レジに並んだ時、ふとお菓子が安売りされていることに気がついた。 なんとそこにはチョコレートが。 それも、やや高めのナッツ類が含まれたチョコレートだ。 そこで、気がついたら買い物カゴに入れ、レジに通してしまった。

私はチョコレートが好きで、ついつい買い込んでしまうたちがあるのだが、今回もぞの御多分に漏れなかったというわけである。 そしてまた、積んでいるチョコレートが増えた。 本ならばまだしも、チョコレートには賞味期限というものがある。 多少ならまだしも、年単位で放置するわけにもいかない。 会社に持っていくのが一番よいだろうか。

そういうことを考えながら、麦茶を淹れた。 火曜日の夜のことである。

諦めるということ

人生諦めが肝心。 これを信条にして生きてきたのだが、実際のところ諦めきれていないことが多かった。 といっても、とうに吹っ切れているプライベートの話ではない。 仕事だ。

編集というのは難儀な仕事で、著者がいないと仕事が生まれない上に、著者の能力以上のものは作り出せない。 泥を磨いても玉になるわけではないのである。 それにもかかわらず、この数ヵ月泥を磨いてなんとか玉に見せかける作業をやろうとしていたのである。 当然ながら、必要以上に疲労は溜まっていくばかりであった。

それを今日ついに諦めることができた、というわけだ。 結局、著者にNOと言われたら動くことはできないわけで、それも致し方ないことだろう。 ただし、適切な妥協点はまた、検討し続けていくしかない。 そこにこそ楽しさがある仕事なのだから。

5月はさんざんだった、が…

3週間近く何も書き残していなかったので、心を入れ替えて書く。

というわけで、5月はさんざんな月であった。 忙しい上に、著者は言うことを聞いてくれないし、体調を崩して行く予定だったイベントにも行けずじまいだった。 企画は増えたものの、個人的にはまだ全然足りない。 今年中にあと最低6本くらいは作るつもりである。

変わったこととしては、新社長との面談があったことだろうか。 時々挨拶はしていたものの、しっかり話す機会がなかったため、非常に良いタイミングでの面談だったと思う。 2時間半も新社長の時間を奪ってしまったのは申し訳ないと思っているが。

そこで何が良かったかと言うと、新社長が見ている方向と、私が見ている方向がおおむね逸れていないということがわかり、また自分の目で観測気球的にさまざまな企画を作ってほしいという強い思いを感じたことだ。

企画は基本的に人とどれだけ会ったかに依存するので、とにかく会いに行けばいいということでもある。 シンプルで簡単だ。 あとはやれるかどうか次第、ということである。