144

144という数字が好きだ。

昔からずっと偶数が好きだ(理由はわからない)が、その中でもとくに144は別格だ。 144は偶数でもあるし3の倍数でもある。これがなんとすばらしいことか。 偶数の素数と奇数の素数が織りなすハーモニーだ。

12の次乗がこんなに美しい数字になるなんて、これこそ数の神秘だろう。 288も良いが、それだとバランスが崩れてしまう。見ていて美しくはないのだ。やはり、144こそ至高の数だと思う。 数学者からしたら対数が〜とか言い始めるのだろうが、そんなものに情緒はあるのか? 情緒を感じない数字など愛するに値するのだろうか?

144には数学的な、厳密な美しさなどはないかもしれない。主観的な、叙情的な美しさしかないのかもしれない。それの何が悪いのだろうか? そもそも人生に厳密さなど必要なのだろうか?

日々そんなことを考えながら生活している。ああ、今日もなんと美しいことか。

生まれ変わったら144になりたい。