自分が小説を読む理由を見つめ直してみたら、やおいにハマる人の気持ちが1ミリだけ理解できた気がする

連日本を読んで、原稿を読む生活を送っていると、正直なところまとまった文章を読むことそれ自体に飽きてしまうものですよね(わかってほしい)。そこで気分転換として、自分にとっての小説とは何か、そしてなぜ小説を読むのか、ということを考え直してみた。そしたら、やおい好きな人の気持ちが(若干)わかったよ! それだけ!

って書くと終わっちゃうよね。もうちっとだけ続くんじゃ。

自分にとっての「小説」:「関係性」を与えてくれる存在

最近気づいたのだけど、どうも自分はいわゆる「関係性萌え1」のタイプらしい。創作物に触れるときは、だいたい登場人物同士の相関関係が気になってしまう。というよりぶっちゃけ単独でいろいろやってもあんまり興味がないんですよねー(だって1人が1人でできる範囲の行動をしているところを見せられてもつまんなくない?)。まあもともと公式カプ2好きだしね。

もう少し正確に言うと、自分にとっての小説とは、「複数(できれば5人程度)の登場人物による関係性を与えてくれる存在」なのです。たぶん。それもエンターテインメント性、娯楽性込みね。

まあこれをうだうだ言ってもしょうがないので、はい次!

じゃあ、なんで小説を読むの?

ここまで来るとわかりますよね。関係性を知りたいからです。もう少しきちんと表現すると、「キャラクター同士の関係性が変化することで生まれる心の動きを鑑賞したい」から。

今までいわゆる「純文学」にはそこまで興味がなくて、現代小説が好きだった。ラノベもまあまあ読むし、青春小説も好きだし。我ながらずっと不思議だったんだけど、これも考えてみれば単純な話だ。現代小説って自分と刊行年数が近いから、登場人物の行動理由を比較的納得しやすい。たぶん(なろうとかは知らん)。これがカルメンとか谷崎潤一郎とか森鴎外とか、まあいろんな名作文学を読んでも、正直ちっとも行動理由に納得できない(『痴人の愛』とか頭おかしくね?って思わない?)。まあ感覚の違いもあるだろうね。だから、そんな登場人物の人間関係をあんまり楽しめないから興味を持てないんじゃないか、ということ。

いや、それでもおもしろいと思える作品はあるし、登場人物や小説の舞台設定を突き放して鑑賞する楽しみ方もできる。うん、できるんだけどさ、文学の研究者じゃないし、あくまで趣味、楽しみで読んでるんだから、なんだかんだ言っても小説の世界自体を楽しめないとつまんないじゃんよ。結局ノれないと単なる作業になって(普段仕事でやってることと変わらなくなるから)楽しくなくなるんですー!

とまあ、こんな感じなんだけど……。

なんでやおい

Y.Aoiじゃないよ。やおいだよ。今は死語か? BLって言うほうがわかりやすいか?

あくまで自分の解釈だと、関係性萌えなんじゃないかと思うわけですよ。だって恋愛の時点で関係性だしね。異性愛に比べて少数派だから、それゆえの追加要素は多いだろうけど、関係性自体はそんなに変わらないんじゃないか?と思う。この目線だと百合も同じだけどね。あ、キャラ萌えやおいはわかんないです。専門家に聞いてください。

かなり話を発展させると……

ここまで書いてて、ほかのジャンルだと哲学書は哲学思想内に関係性があるし、数学書は定理と定理の間に関係性があるしその視点で読むと楽しいんじゃないかと思ったんだけど、これってそれこそそういう発想じゃないか?

……って書くとほうぼうから怒られそうだな。なんかすみません。

とりあえず、飽きたから終わる。以上!